« 匂いの記憶@エルサレム 1. 「神殿の丘」にて - Apocalypse at the Temple Mount הר הבית, Jerusalem | Home | 匂いの記憶@エルサレム 3. ザアタルزعتر (中東風グリーンハーブミックス)とラブネ لبنة (ヨーグルトチーズ)のディップ - Labneh Dip with Za'atar »
 
2008年9月14日 02:22 AM

匂いの記憶@エルサレム 2.「悲しみの道」の果てに - Stabat Mater at the End of the Via Dolorosa, Jerusalem

【2009.3.4 旧ブログから筆者転載】

エルサレム旧市街を歩いていると、丸い円盤にローマ数字が刻まれたプレートの掲げられた場所で、大勢の観光客や巡礼者が立ち止っているのを目にします。

2008_0902_110935w400
Station V, Via Dolorosa, Jerusalem

これは、イエスが裁判にかけられ、重い十字架を背負って市中を歩き、ゴルゴタの丘で処刑され遺体を納められた墓に至るまでの「悲しみの道」 Via Dolorosa の中の「ステーション(留)」と呼ばれる、いわばハイライト・スポットです。(ただし、現在のステーションの中には、2000年近い時を経る中で建物の新築などにより道路が移動していたり、福音書に基づかない伝承に由来するものが含められたりしているとして、より厳密な意味での Via Dolorosa を再定義しようとする動きもあるとのことです)

そしてこの道の終わりにあるのが、

「聖墳墓教会」 Church of Holy Sepulchre。イエスが十字架にかけられたとされるゴルゴタの丘や、イエスの遺体が埋葬された墓とされる場所は、みなこの中にあります。

2008_0903_092428h400
Church of the Holy Sepulchre, Jerusalem

実はイエスの墓がほんとうにこの場所にあったのかどうかについても、たとえばプロテスタント派の中には「旧市街ダマスカス門よりさらに北の場所にある Garden Tomb こそが真の墓だ」とする意見があったりと、見解は必ずしも一致していません。それでも、こここそがイエスの最期と復活の奇跡の場所だと信じて疑わない巡礼 者たちの祈りの情念が、決して大きいとはいえないこの教会の中いっぱいに満ち満ちていました。

2008_0903_091708h400
Entrance Gate of the Sepulchre of Christ in the Church of the Holy Sepulchre

この教会ではカトリックや正教会などの諸派が度々儀式を行うとのことだったのですが、滞在中に2度訪れた時はいずれも特に行事はなく、静かに教会内を見学する大勢の人々の姿のほかには、香炉の香りにも祈りの音楽にも、残念ながら出会うことはできませんでした。強いて言うなら、キリストの墓の内外にささげられた蝋燭の燃える匂いと、日陰で冷えた古い石壁が放つミネラル臭が、行きかう人々の間からかすかに感じられた程度でした。

しかしこの教会の中で、もっとも香りにゆかりのある場所といえば、なんといってもこの場所、十字架からおろしたイエスの体を横たえ、香油を塗ったとされる「塗油の石」でしょう。

2008_0903_091120h400
Stone of Unction, Church of the Holy Sepulchre

旧約聖書と新約聖書の中には、当時のパレスチナ地域一帯で採れた材料や、遠くアラビア半島の東南端、さらにはヒマラヤあたりから運ばれてきた大変貴重な材料まで、さまざまな香りの素材や、それらをもちいて作られた多様な香油が登場します。

中でも有名なのは、『出エジプト記』30:22-25 でモーセに示された「聖なる香油」(Holy Anointing Oil) のレシピ、『マタイによる福音書』2:1-13 でイエスの生誕時に東方の賢人が黄金とともに贈ったとされる乳香 Frankincense Boswellia sacra (syn. B. carteri, B. thurifera) と没薬 Myrrh Commiphora myrrha、また『ヨハネによる福音書』12:3 でマリアがイエスの足をぬぐうのに用いたとされるナルデ Spikenard Nardostachys grandiflora の香油などでしょう。

実はこの旅の前後、飛行機での移動中に、大好きなプーランク Poulenc のスターバト・マーテル Stabat Mater を iPod に入れてずっと聞いていたこともあって、マリアにゆかりのある場所、たとえば十字架を背負うイエスにマリアが出会ったとされる Via Dolorosa の第4ステーションや、イエスが架刑に処された十字架の横でマリアが立ちつくし悲しみにくれたとされるゴルゴタの丘のふもと(第13ステーション)などが、とりわけ心に深く残りました。

Stabat mater dolorosa
iuxta crucem lacrimosa
dum pendebat Filius

もちろんマリアといえば、処女懐胎をはじめとするキリスト教の「神秘」を体現する役割を担う、重要かつ特殊な存在であることは言うをまちません。しかし、どのような経緯であれ、「わが子」(filius) が時の体制の名のもとに十字架にかけられ命を奪われようとする間 (dum pendebat)、十字架の傍らで (iuxta crucem) 悲しみにくれながらも (dolorosa) ただ涙をながす (lacrimosa) ほかはなすすべもなく、たた立ち尽くすばかりの母 (stabat mater) という、そのあまりに劇的な状況、およそ尋常ならざる悲しみの耐え難さは、わが親や子をもつ世の人に、時と場所を超え、あまねく強い共感を呼び起こしうるものであったのでしょう。

結果としてこの Stabat mater という題材は、詩や音楽、絵画といった多様な芸術に、二千年の永きにわたり繰り返し取り上げられてきました。それらは往々にして「キリスト教(的)芸術」 と十把ひとからげに扱われがちですが(そしてそこに何も間違いはないのですが)、キリスト教徒ではない僕の心にさえこのモチーフが繰り返し強く響くのは、さていったいなぜなのか。強い情念と祈りに支えられた芸術家の力ゆえかも知れないし、あるいはもしかすると「時の正義」に我が愛する肉親を奪われる悲しみというものが、その信じる神のいかなるかを問わず、この二千年の間-そして、今日またこの瞬間も-決して絶えることがなかったという事実の、裏返しなのか もしれない。

聖墳墓教会を後にして、ふたたびエルサレム旧市街の、右往左往する観光客の群れの中でキッパをきっちりとかぶったユダヤ人男性やスカーフを美しく纏ったムスリマたちが淡々とすれちがいゆく狭い坂道を、僕はぼんやりと歩きながら、そんなことをぐるぐると考えていました。

ともかくもそんなわけで、今回はキリスト教教会で伝統的に用いられてきた香料と、マリアにゆかりのある精油をブレンドして、エルサレムの匂いの記憶 第2弾「Stabat Mater, Jerusalem - 『悲しみの道』の果てに」としておきます。この香りに触れるたび、どうかあの日に思ったことを、いつまでも思い出せますように。

Recipe / Recettes

- 乳香(フランキンセンス、オリバナム)精油 Frankincense (Olibanum) E.O.
- 没薬(ミルラ)精油 Myrrh E.O.
- スパイクナード精油 Spikenard E.O.
- ヒソップ精油 Hyssop E.O.

« 匂いの記憶@エルサレム 1. 「神殿の丘」にて - Apocalypse at the Temple Mount הר הבית, Jerusalem | Home | 匂いの記憶@エルサレム 3. ザアタルزعتر (中東風グリーンハーブミックス)とラブネ لبنة (ヨーグルトチーズ)のディップ - Labneh Dip with Za'atar »

カテゴリ