2009年4月アーカイブ

この名を冠した何ものかを、安易な気持ちでカタチにしようなどと、私は毛頭思わない。しかし、あるいは、だからこそ、京都に暮らした幼い日々、意味 も分からずただ諳んじるばかりだったその響きと、はるか千数百年と数万キロをへだてたその源に、私は今あらためて、耳を澄まそうとしている。

やがて私がこの体をもってブッダガヤを訪れることになるその日までに、私は何を思うのか。そしてブッダガヤの地に着いたその日、あるいは帰国の後、私は何を思うのか。その記録を今日から私は、時に言葉で、時に匂いで、つづっていくことになる。

* 漢訳は「唐三藏法師玄奘譯」に依拠。改行は涌井和『サンスクリット入門:般若心経を梵語原典で読んでみる』(明日香出版社、2002年)に収されているサ ンスクリット版の節に対応。表記は、1行目から中文 Zhōngwén(繁体字 fántĭzì)、中文(簡体字 jiăntĭzì)、한글(ハングル hangɯl)、サンスクリット(デーヴァナーガリー文字表記。Sanskrit, संस्कृत saṃskṛta)、IAST方式によるアルファベット転写(International Alphabet of Sanskrit Transliteration)の順。

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Verse 0a.
摩訶般若波羅密多心經
摩诃般若波罗蜜多心经
mó-hē bān-ruò-bō-luō-mì-duō-xīn-jīng
마하반야바라밀다심경
ma-ha ban-ya-ba-ra-mil-da-shim-gyeong

Verse 0b.
॥ नमः सर्वज्ञाय ॥
namaḥ sarvajñāya.
[न na][मः maḥ] [स sa][र्व rva][ज्ञा jñā][य ya]

Verse 1.
觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見
观自在菩萨行深般若波罗蜜多时照见
guān-zì-zai-pú-sà háng-shēn-bān-ruò-bō-luō-mì-duō-shí zhào-jiàn
관자재보살행심반야바라밀다시조견
gwan-ja-jae-bo-sal haeng-shim-ban-ya-ba-ra-mil-da-shi jo-gyeon
आर्यावलोकितेश्वरबोधिसत्त्वो गंभीरायां प्रज्ञापारमितायां चर्यां चरमाणो व्यवलोकयति स्म ।
ārya-avalokiteśvara-bodhisattvo gaṃbhīrāyāṃ prajñāpāramitāyāṃ-caryāṃ caramāṇo vyavalokayati sma.
[आ ā][र्या rya-a][व va][लो lo][कि ki][ते te][श्व śva][र ra]-[बो bo][धि dhi][स sa][त्त्वो ttvo]
[गं gaṃ][भी bhī][रा rā][यां yāṃ]
[प्र pra][ज्ञा jñā][पा pā][र ra][मि mi][ता tā][यां yāṃ]-[च ca][र्यां ryāṃ]
[च ca][र ra][मा mā][णो ṇo] [व्य vya][व va][लो lo][क ka][य ya][ति ti] [स्म sma].
2009年4月 7日 05:41 AM

いつか来た道。


たとえば、自分が産まれてまもなく暮らしていた場所から、ものごころつく前に遠く離れて今くらしている誰かが、「あの町での記憶なんてなにもないよ」と言ったとして。

でも、その「産まれ故郷」でその人が無事に産まれスヤスヤ眠ったりにっこり笑ったりするのをまわりの大人たちが涙の出るほどうれしい思いで見守っていた、その中で誰かに手をひかれて初めて自分の足で歩いた道があったとして。

その道はその人にとって、「いつか来た道」に入る、のかどうか。

あるいは、地図と記憶によれば間違いなく数十年前と同じ場所を歩いているはずなのに、都市開発で道がズレたり広がったり、また田んぼだったはずの場所に大きなビルや見知らぬ新興住宅地がならんでいたとしたら、それでもその道は「いつか来た道」に入る、のかどうか。

2009年4月 6日 02:27 AM

抽象名詞にも、匂いはある。いや、匂いのあるものもある、と私は思っている、というべきか。

その言葉を耳にしたときの、あるいは口にしたときの、それとも強く心に引っ掛かりながら口には出せなかったときの、無意識ながら感じていた何ものかの匂いがあれば、まずはそれが思い出されよう。またそういう最大公約数的な匂いや臭気が外部に実存していなかったとしても、ある言葉に向き合った時の鼻腔のまわりの血流や温度がきゅっと変化する感覚を繰り返し体験する中で、それが時に、あたかもなにか香りのあるものを嗅いだときの感覚となんだか似ている、と感じることがある。

...こうして文字にしてみると奇妙な感じだが、本能的な感覚の話というものがそもそも合理的なせりふ回しと相性が悪いのであって、それは私のせいではない。のだ。たぶん。

では練習問題。「責任」の匂いは?

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