いつか来た道。
たとえば、自分が産まれてまもなく暮らしていた場所から、ものごころつく前に遠く離れて今くらしている誰かが、「あの町での記憶なんてなにもないよ」と言ったとして。
でも、その「産まれ故郷」でその人が無事に産まれスヤスヤ眠ったりにっこり笑ったりするのをまわりの大人たちが涙の出るほどうれしい思いで見守っていた、その中で誰かに手をひかれて初めて自分の足で歩いた道があったとして。
その道はその人にとって、「いつか来た道」に入る、のかどうか。
あるいは、地図と記憶によれば間違いなく数十年前と同じ場所を歩いているはずなのに、都市開発で道がズレたり広がったり、また田んぼだったはずの場所に大きなビルや見知らぬ新興住宅地がならんでいたとしたら、それでもその道は「いつか来た道」に入る、のかどうか。
最近、どの国のどの町にいっても、初めて来た!って感慨がない。それはもしかすると、ただ自覚がないだけでほんとうは前にもここに来たことがあったんじゃないか?、なんて思うことが増えてきたので、上にようなことを考えていた次第です。
でももしかすると、目の前の状況や風景と、まったく異なる記憶とが、単に混濁しつつあるだけかもしれないですね。
あるいは、航空機網やネットや国際電話ローミングの信じがたい発達のおかげで、たとえどれほど日常から物理的に離れた場所にたどりつたとしても、ほんの数十時間でまた戻ってこられるし、下手をしたら地球の裏側からでもリアルタイムで「あー、その書類なら僕の机の上の緑色のボックスに...」とか話してしまったりするものだから、どんなに遠くまで移動しても日常がまとわりついてくるようになった、せいか。
別にそうまでして抜け出さねばならぬ日常を自分が生きているとは思わない。でも、4月の訪れとともに見知らぬ町、見知らぬ道のなかをどきどきしながら歩いていた、あのころの段違いに不連続な日常を、時々かえって懐かしく思ってみたりも、するのです。

[gandha]