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2009年8月14日 08:08 PM

神道と香り - 春日大社・若宮おん祭「遷幸の儀(せんこうのぎ)」

「神道(しんとう)」と「香り」。この両者の関係は、さていかなるものであったのか? -私の中ではながらくの懸案だったこの問いに関し、どうやら重要な手掛かりになりそうな情報を、この夏いくつか得ることができたので、備忘録がわりに久々の投稿をしておくこととする。

春日若宮おん祭り」(かすがわかみやおんまつり)とは、奈良の春日大社(かすがたいしゃ)で執り行われる行事のひとつである。そのクライマックスとも言える12月17日は、午前0時の「遷幸の儀(せんこうのぎ)」をもって幕を開ける。

春日大社公式ウェブサイトの「春日若宮おん祭り 17日若宮様の1日」によれば、遷幸の儀は「若宮様をお旅所へお遷し申しあげる神秘の行事」とされ、その一切があらゆる光を消した暗闇(「浄闇」)の中で執り行われる。その中で特に私が興味深いと思ったのは、この暗闇の極みのなかで「若宮様」=神霊とともに移動するのが

  • 主にはふたつの「音」、すなわち楽人の奏でる「慶雲楽(きょううんらく)」の調べと、参列者たちが間断なく唱える「『ヲー、ヲー』という警蹕(みさき)の声」、そして
  • ふたつの「香り」、すなわち神霊を取り囲む「サカキ(=榊、ツバキ科サカキ属 Cleyera japonica)の香り」と、香炉から立ちのぼる「香木の香り」、

であるという点だった。果たしてその瞬間に臨場する人々は、視覚と触覚の意味を根こそぎ失わせる漆黒の闇のただ中に置かれ(それが動物的本能により「極めて不安で危機的な状態」として知覚され、他の感覚器官に神経が集中するであろうことは容易に想像されるところである)、いやが上にも研ぎ澄まされた聴覚と嗅覚の働きによって、神霊の遷りを表層的な情報のレベルではなく「肉体的体験」のレベルで共経験することとなるのである。

周知の通り、サカキは現代でも各地の神社で「玉串(たまぐし)」に用いられるなど、重要な役割を果たしてきた植物である。確かに、白木づくり或いは白壁に丹塗りの柱で構成される神道的空間の中、サカキのくっきりとした緑は遠目にも実によく映えて美しいし、凛々しい鋭角のアウトラインは神々の「よりしろ」としていかにもふさわしい。しかし加えて、サカキがチャノキ(=茶の木、ツバキ科ツバキ属 Camellia sinensis)と同じツバキ科に属し、枝や葉を剪ると瑞々しく清浄感にあふれるグリーン調の芳香を放つ植物(注)であるということについては、私の知る限りではあまり言及されているところを見ない。

そして何より、香炉で香木を焚いて薫(くゆ)らせながら歩くという行為が、あの春日大社の「おん祭り」の、しかもひときわ「古式に則った」大切な神事の中に含まれているという事実は、恥ずかしながらそれを知らずにいた私にとって、単なる興味深さを越えた、ある種の衝撃すら感じさせるものであった。

ではなぜ、「古式」の神事には含まれていたとされる香木による薫香、香道でいう所の「空薫き(そらだき)」が、現代にいたる後世の神道的儀礼から抜け落ちることになったのか? -この新たな疑問を抱くようになってから奇しくもわずか数日の後、私は看過できないもう一つの情報を得た。それは「江戸時代、京都で天皇が即位する際には、大きな香炉で煙を立て薫香を行う習慣があった」というものである。しかしこうした習慣の存在がなぜ上の問いを解くことに関係してくるのか、という点については、まずその習慣が実在したことを検証したのちに、改めてここに私見を披歴させていただくこととしたい。

注:サカキと同様に「花をつけていない枝葉の状態で芳香を放つ」もので「現代日本の宗教的儀礼に用いられている」重要な植物としては、仏事に用いられる「シキミ(=樒、シキミ科シキミ属 Illicium anisatum)」 がある。そのほか、京都・六波羅の珍皇寺などでは、お盆の時期に水塔婆に水をかけ供養する際、針葉樹系の樹脂の香りがすがすがしい「コウヤマキ(=高野槇、コウヤマキ科コウヤマキ属 Sciadopitys verticillata)」の針葉つき小枝を水にひたしたものを用いている。これら仏教的伝統と香りのかかわりについては、別ブログ GANDHA にて後日扱うこととする。

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