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2009年9月23日 10:12 AM

Where Maitreya Bodhisattva Thinks of You - 국립중앙박물관(한국,서울) - 韓国国立中央博物館

植民地時代に朝鮮総督府が置かれた建物(現在は撤去済み)でかつて展示を行っていた韓国国立中央博物館が、漢江のほとり二村の広大な敷地へと移転・開館して、はや数年が経つ。昨年はじめて新博物館を訪れながら時間が足りず悔しい思いをした私は、今回こそと出張の空き時間を何とかやりくりし、2日に分けて念願の再訪を果たすことができた。

ソウルの地下鉄4号線イチョン駅2番出口を出てまっすぐ東に進むと、左手に博物館へとつづく道が見えてくる。敷地内にある大きな池を時計回りにゆるやかに辿れば、左に劇場、右に展示館を擁する巨大な博物館の本館が姿を現す。


National Museum of Korea - Gateway and Main Building

展示館の入口をはいったところにあるアトリウムから建物の東端までを貫く中央通路は、すべて天窓から空が見える吹き抜け構造になっている。展示館は3階建てといっても各階の天井がとても高いため、天窓は通常のビルなら5~6階に相当するくらいのところにある。かくして展示館を訪れた者は入口をはいったその瞬間から、柔らかな光と静謐さに満ちた巨きな空間に抱かれ、一種独特の非日常感・高揚感とともに展示室へと向かうことになる。


Atrium and Corridor

さてこの博物館、1階部分(考古館・歴史館)の見どころと言えば、

やはり百済や新羅など、日本列島とも深い関わりを有した古代諸国家の芸術の粋であろう。

(ちなみに今回の時点では、この博物館では三脚やフラッシュを用いた写真撮影は禁止されているものの、フラッシュを焚かずに手持ちのカメラで撮影する程度ならばOKとのことだったので、有難くもいくつか写真を撮らせていただくことができた。寛大な方針にこの場を借りて感謝申し上げたい)


Crown and Belt with Gold and Jadite, Shilla Dynasty (5c.-6c.)

金葉と玉(翡翠勾玉)がふんだんに用いられた新羅の冠と帯は、闇とわずかな照明の中で微動だにせずガラスケースの中に納まっている。 にもかかわらず、それを見る者が嘆息し僅かに視線の高さや立ち位置を変えた瞬間、金地に彫られた無数の装飾や金葉の縁取りもまた、こちらの思いを見透かすように随所で小さくきらりと光って見せる。 透明とも半透明ともつかぬ翡翠の勾玉は、輝くというよりも闇と光のはざまであたかも濡れたような質感をもって半ば光を吸い込み、反射というよりもそれ自らがぼうっと幽かに発光しているようにすら見える。 エメラルドのように生来透明な宝石では、おそらくこうは見えまい。 まして燭台にゆらぐ明かりの中、気高き人の頭上にありせば、如何ほど神々しかろう。

そして百済代表は、言わずもがなの弥勒菩薩半跏思惟像。日本でも仏像ブームと言われて久しいが、私も考えてみれば、この仏像に会うためにここまで来た、と言っても過言ではない。


Maitreya Bodhisattva Statue, Baekje Dynasty (5c.-6c.)

現代の韓国や日本につたわる仏教における「菩薩」について、一門外漢である私に一般論を論じる資格はない。ただ日本では京都太秦・広隆寺の「宝冠弥勒」(日本の国宝第1号)として知られる木造弥勒菩薩半跏像や、韓国ではこの百済の金銅弥勒菩薩半跏思惟像が代表的に示すところの「弥勒菩薩」については、おおよそ「遠い未来(一説には56億7千万年後)に成仏して如来となることが約束されているが、今はその手前の段階にあり『いかにすれば衆生を救うことができるか』について思いめぐらす存在」と位置づける点で多くの専門家の説明が一致している模様である。

かつてドイツ人カール・ヤスパースが「人間実存の最高の姿」と讃えたとされる広隆寺の宝冠弥勒とこの百済の金銅弥勒菩薩半跏思惟像の、造形上もっとも顕著な違いは「瓔珞(ようらく)」の有無である。... と、その場に居合わせた団体さんのガイドさんが話していた。へえ、そうなんだと思って隣の部屋の展示を見ていたら、東アジアにおける仏教彫刻の系譜図の中にちゃんと広隆寺の宝冠弥勒の写真があげられていた。さすがである。


Maitreya Bodhisattva Statue in Koryuji, Japan (6c.-7c.)

正直に話せば、幸いにも京都に生まれ、国宝第1号である広隆寺の宝冠菩薩について、(今思えば自分勝手な話だが)我がふるさとの京都を、そして日本を代表する美であり誇りであると信じて疑わなかった私が、大学進学で京都を離れ、最初の韓国旅行でまだ旧朝鮮総督府の建物に収蔵されていた頃の金銅弥勒菩薩半跏思惟像を見たときの衝撃は、実に大きかった。あの完璧な美は決して日本の、まして京都の専売特許なのではない。むしろそれに先立つ時代や並行する時代、百済を中心とする仏教彫刻がどれほど高い技術的・美的水準に到達していたかは、同時代の他の展示物を見れば一目瞭然であり、その遺産を引き継ぐ韓国での国宝指定番号は、この美しい金銅弥勒菩薩半跏思惟像をしてようやく78号や83号なのである(もっとも国宝指定番号の付し方が美的ないし歴史的価値の序列を表すものでないことは分かっているが、ともかくその時はその数も衝撃の一部だったのだから致し方ない)。実はこの体験が、のちに私が韓国に対し興味(と、今にして見ればある種の敬意)を持ち、私なりに深くかかわっていく原点のひとつになるのだが、そのことを当時20そこそこだった私は、まだ知る由もなかった。

ああ、それにしても。半跏思惟というその姿勢は動と静のはざまにありながら、どうしてかくも完全なる永遠を感じさせるのか?遅くとも56億7千万年ののちには如来として再び立ち上がり救われるべき衆生に向きあうこととなる、その日その時までの一時的な姿でしかないのに。... この像が世に姿を現わしてから千と数百年の間、数え切れぬほどの人間たちがこの像の前で立ち止り、考えたことだろう。だって56億と7千万年だもの、わずか数十年で終える自分の人生から見たらそれは限りなく永遠に近い、翻って自分の残された生たるや、それ実に何と短いことか。人の世に栄華を誇りながら、わが身のはかなさを教えられ、嘆いた者もいたかもしれない。

あるいは、この身ひとつをとりまく総てはうたかたに過ぎぬ、自分一人で心配してみたところで、弥勒様だって数十億年かけて一緒に悩んでくださるというのだから、まあ安心して生きておればよい、そう思ってなんだか救われた気分になった者も、きっといただろう。まるで今日の、私のように。

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