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2009年9月 7日 02:55 AM

記憶をわたる風 - 佐久平18時、気温21度

'09.9.11改訂

上信越道八風山トンネルを群馬側から長野側へと抜けたあたりで、カーナビの地図の隅に緑色の小さなエンピツ型アイコンが2本並んでいるのが見えた。以前、長野県佐久市のとあるお寺と、その近くの温泉旅館の前を通りかかったときに、自分で登録したポイントだ。私は車の窓を薄く開け、仄甘くも軽く乾いた信州の夕風がさあっと流れ込んできたのを確かめてから、小さな深呼吸をした。


かつて私は夏が来るたび、長野の北佐久郡望月町(現・佐久市望月)を訪れていた。大学のころ所属していたサークルに、毎年この町の小学校や分校を訪れ出前コンサートをするという有志企画があり、それに何回か続けて参加していたからだ。今はこんなに面倒くさがりやの私が、なぜそんなイベントに乗っかることに決めたのか、時既に20年ほど遡る頃の話ともなればどうにも思い出せない。しかし、当時のこの町の方々や子供たち・親御さん方にいったいどれほどお世話になったか、それははっきりと覚えている。

まず、寝泊りや舞台稽古、炊事などはすべてお寺さんの宿坊を借りて過ごした。朝から午後まで汗だくになって稽古をした後は、歩いてしばらくの所にある温泉旅館さんまで毎日お風呂を借りにいった。地元のみなさんからは自炊用にと毎年採れたてのキャベツやトマトを山のように届けていただき、出前コンサートを終えた後は仲良くなった近所の子供たちとホタルの飛び交う田んぼのあぜ道で花火をしたり、商工会の方に地元のお料理や地酒をしこたま振舞っていただいたり...

だから私は、数年前偶然に長野県南部に用事ができて、生まれて初めて自分の車で長野入りを果たしたとき、仕事を終えてまっさきにこの町を目指して走ってきた。学生時代、この町を訪れる企画では上級生になっても one of them のままだった私は、結局最後までこの町のどなたにもはっきりと自分の口から感謝の気持ちを伝えることができなかったような気がして、そういえばそのことがこの町をサークルの皆と一緒に最後に訪れた日からずっと自分の中でひっかかっていたようにも思えてきて、なんだか矢も楯もたまらず、走ってきた。


でも、たどり着けなかった。


私のカーナビに入っている地図が古く、すでに存在しない交差点を必死に探して曲がろうとしていたというのも、たしかに私がなかなか目的地にたどり着けなかった理由の一つだった。しかし私がようやく気付いて呆然としたのは、あの頃はあんなに広々として見えたお寺さんから温泉旅館さんまでの道沿いの田畑の目の前を、本当は何度も通り過ぎていたにもかかわらず、私がそのことにまったく気づけずにいた、ということの方だった。


人間が自分の足で歩く時と時速数十キロの車で走る時とでは、頭の中の地図の縮尺は大きく変わる。それは百も承知のことだ。でもそれにしたって、たとえば今年のステージの出来は去年にくらべてどうだったんだろうかねえとかそれより分校のだれそれちゃんを肩車から降ろそうとしたらしがみついて泣きだすから最後にはこっちが泣いちゃったよとか、ああそれにしても夏の夕空ってのはほんとはこんなにも広くてきれいなもんだなあとか10年20年先に同じ空を見ることがあったら僕ら何を思うのだろうかなあとか、あっ今ホタルが飛んでたよとか違うだろだってまだこんな明るいのにさとか、そんなことを話しながら田畑や水路に沿って20分ほどもかけて歩いていた記憶のあるあの道が、

車でたった1~2分程度の距離に過ぎなかったということを、

そして当然のことながら歳月がふた廻りもすればいくつも新しい建物が建ち山肌にはバイパスのトンネルができ、交通がそっちにながれたせいか夏の午後の陽射しに照らされた旧街道の表通りはまるでスチル写真のように美しくも静かで、調べてみれば分校はもとより小学校もいろいろと統廃合され、あの頃の僕らが数日に一度みなで通ってソースかつ丼を「久々の肉食だーっ!」と大喜びしてがつがつ食べていたバスターミナル横の食堂ももう何年も前にお店を閉じてられたということを、

... ははぁなるほど左様でござんしたか、イヤ旦那そりゃあ20年も経ちゃあね、マア景色も変わりゃあ世代も変わる、それが世間の道理ってもんでやしょう、アアそれにつけても思い出すのはあの日あの時あの肩車、おりたくないよと駄々こね泣いた、あの嬢ちゃんだってきっと今じゃあ立派なおっ母さん、たといどれほど遠くに嫁いでいたとて、エエ忘れられよか望月小唄、〽(←横書きだと左右逆ですな、失礼)私ゃ信州ヤレ望月の生まれ、山(やま)が育ちでも実(じつ)がある、ソレ...

なんて寅さんみたいに滅法なケムをまきながらこっそり現実を飲み下すような真似が、万年コドモの私にできようはずもなく。だって十数年も音沙汰なしで約束もなく勝手に息せき切ってやってきて、あれれ、あのときと寸分たがわぬ誰かがどこにも見当たらない、どの辻に立っても記憶のままの風景とはなんだか違っている、そんな分かり切った現実に今更とまどう自分の身勝手なバカさ加減と、だからもう止せと何度自分の中で怒鳴っても肘の内側や肋骨の底のほうからじいんと滲み出てくる浅はかで幼い感傷に挟まれるようにして、私はようやくの思いで旧街道沿いの駐車場に車を止め、近くの自動販売機で買った缶コーヒーを手に、バスターミナルの片側に大きく掲げられた町の案内図の薄くなったペンキの塗りあとを、ただぼんやりと見上げていた。


どれくらいの時間が経っただろう、振り返ればさっきよりも心なしか強くなった西陽の中に、あの思い出深いソースかつ丼を食べさせてくれていた食堂の建物が影を落としていた。よく見れば建物はただ壁にくっつけられていた食堂の名前を取り外しただけで、ガラス越しに見えるカーテンはまるであの頃のまま、もしかすると明日のお昼時にきたらまた普通に営業してたりなんかして... なんても思えたけれど、我に帰ればどれも詮無いこと、いつのまにか空っぽになっていたコーヒー缶を自販機横のカンかごに入れて、私はふたたび西へと車を走らせた。


あれから私は、一度もあの町を訪れていない。ただ上信越道の佐久平PA付近を通るときにカーナビの地図上に現れるアイコンと、カーナビの目的地一覧リストの最初のほう、自宅等に次いで表示されるよう登録したお寺さんと温泉旅館さんの名前を見たときに、ちくりと心の片隅で何かを思って何かを吹き消しては、誰もいない車の中で誰にも聞こえないような小さなため息を選んで吐く、そんな一々言挙げするにも値しない愚行を、ただ一人で繰り返すばかりである。

(... 愚行? そういえばあの頃だって、歌わなくてもいい歌を歌おうとして朝から晩まで柔軟体操やら発声練習やらをしていたわけだけど、あの風呂上がりの帰り道、日焼けで赤くなった鼻の頭やら首の後ろやらを互いに笑っていた僕らの、その鼻先をかすめた信州の夏の終わりの夕風の匂いを、もしかして僕の意識はもうすっかり忘れ去った気でいるのに、その閾下に隠れた嗅覚だけがその記憶を今もはっきりと留めているのだとしたら? まるで同じ匂いが合い鍵になっている小さな細工箱の、その蓋を今はただ、開けることができずにいるだけなのだとしたら?)

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