Deathの最近のブログ記事

2009年10月 7日 06:50 AM

「論文は遺書である。」

研究者として最も致命的な、しかも長いスランプに陥っていた私に、敬愛する同志がくれた一言だ。

2009年10月 4日 02:54 AM

百の理由を携え出かけた冒険でも、やめて戻るに必要な理由は一つでいい。―― 途中で強盗にあって命からがら。天変地異によってやむなく。現地では治せぬ病にたおれ断腸の思いで。ウチのやつが今度ばかりは即刻帰ってこないと離縁だとか騒ぐもんだから不承不承。突然あの人が君より大切な人ができたんだごめんねって私を残していったの私もう一歩も歩けない。つかお前とっくに死んでんじゃんとか言われて超ありえね↓とか思ってたらマジもう死んでたんすよ俺つかスゴくない?↑みたいな。 ―― どれだって実に似たり寄ったりだ。


スズメバチが仲間と連絡をとる際に「特定の匂い成分の組み合わせ」を用いていることが明らかにされたのは、2003年8月7日付けの『ネイチャー』誌に掲載された玉川大学小野助教授らによる論文の中でのことであった。

当該論文はその中で、一匹が攻撃対象に吹きつけると他のスズメバチが一斉に攻撃に加わるという「攻撃開始命令フェロモン」が、天然の果実や人工の香水にも含まれることのある3つの揮発成分(アルコール系の2-ペンタノールと3-メチル-1-ブタノール、エステル系の1-メチルブテル-3-メチルブタノエート)の組み合わせにより構成されていることを検証している。これらの物質は単体では特に影響を及ぼさなかったものの、3種類を混合して濾紙に含ませ巣の前に置いたところ、数十匹のオススズメバチが攻撃をはじめたという。

... と、なれば。

2009年9月29日 11:00 PM

孤絶の姿を借りた怠惰に未来はない。もっともらしい静謐の中、やがてひとり青黒く腐れ落ちるそれが残せるのは、せいぜい鼻をつく悪臭に顔をしかめ早足で通り過ぎる人々の足音くらいだろう。

しかし狎れ合う群れに自らを連ねまいと、他人と同じ烙印(しるし)をその身に刻むことを拒みながら同じ世に生きる道を選んだ者の上には時として、愚かなり世に二つと見ぬ独善と狂気、恥知らずこそ汝が名ぞと誰かが一度指さし嗤ったのを合図に、冷笑や唾棄や怒号が雨あられと降り注ぎはじめるというのもまた、この世に例しのないことではない。

そんなもの合間を縫って駆け抜ければ勝ちだろと強がってみせところで、いつしか自らの内なる怒りと痛みがひりひりと熱を持ち、何かのはずみであがった火の手が胸の天井を焦がしはじめたら、幸か不幸か先はもうそれほど長くない。やがて炎がその喉笛に迫る頃、何かがようやく耳元まで下りてきて、そっと囁く。

 

― 無辺の闇の中にあってひとり、光の速さで遠ざかる輝きを放つ者は、その輝きの力強さを自らの眼で確かめることができない。沈黙の泥に足をとられながらひとり、音の速さで離りゆく叫びをあげる者は、その叫びの届く遠さを自らの耳で確かめることができない。

― しかしその闇と沈黙のむこう側で誰かが今この時も、いつ届けられるかすら分からないその輝きや叫びを眼を凝らし耳を澄ませて待っているかもしれないという可能性を、いいやそんなヒマでお人よしな奴なんかこの世にいるわけないんだ、期待するだけつらくなるから絶対に信じないんだ、と頑なに否定する者には...

2009年9月28日 06:00 PM

近代化の名のもと猛スピードで変容を続けていく明治期の日本を、Salto Mortale (直訳すれば「死の跳躍」)という表現をもって評したのはドイツ人医師ベルツであった。 30年近くにわたって日本に住み日本人の妻をも迎え、多くの日本人医学生を世に送り出したベルツの言葉を、字面通りの表層的な日本批判に過ぎぬと見る人は、おそらくあまり多くないだろう。

無粋ながら私なりの解釈をあと少し敷衍するなら次の通りである。一方で明治日本は、近代という新しい時代の中を欧米列強と肩を並べ生き抜こうとするなら、江戸という時代の終焉とともにそれまでの日本を支えていたさまざまな制度や価値観を一旦みな取り払い、新たな国家をその枠組みの根本から作り上げる必要があると考えた。それはすなわち古い日本の「死」と引き換えに新しい日本の「誕生」を得ようとする作業であって、いうなれば「死からの跳躍」こそが明治初期の日本の行動を律する原理であった。

他方でベルツは、近代日本が実際には近世以前の日本の歴史の中で培われてきた固有の文化や価値観、換言すれば「日本を日本たらしめる根幹の部分」を色濃く継承しながらそれに無自覚であることを、外部者ならではの視点から看破していた。 ゆえにベルツは、日本がそのような無自覚な状態のままに表層的な変革を追い求め、背景となる歴史などが大きく異なるはずの西洋の文化要素をお構いなしに手当たりしだい接ぎ木をするが如く受容し続ければ、たとえそれが短期的には急速な躍進をもたらしたように見えたとしても、長期的には日本社会が本質的な部分において取り返しのつかない混乱や破滅へと向かいかねない、という危惧の念を持つに至った。さればこそベルツは Salto Mortale という言葉を以て、日本が「死に至る(可能性を含む)跳躍」に踏み切ろうとしていることを指摘し、警鐘としたと考えられるのである。

... さて、と。

日本には永く引き継がれてきた「香りの文化」の伝統がある、と言う人がある。 だがそれは、一か所の不連続点も持たぬまま、なめらかに継承されてきた文化であったのか。 それとも、近代の曙あるいはその他の時期に、多少なりとも不連続な「跳躍」を経験したのか。 そのような跳躍の経験があったとするなら、その周囲に何らかの「死」は横たわっているのか。 だとすれば、それは跳躍の契機としての死だったのか、それとも跳躍の結果としての死だったのか、

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